Eirikur Hauksson (Vo) – MATCHES FOR MAGGIE (1997)(日本語)

1996年に300枚限定で発表されたMATCHES FOR MAGGIEのミニ・アルバム。

 

 

 

1.6月と7月はノルウェーでも一番暑い時期なんだ。沢山の人がコンサートへ来る訳じゃないから、夏の間はクリーンな楽しみでも持とうかなと今は計画しているんだ。でも秋が来たら、新曲のリハーサルと、クラブ・ツアーを計画し始める予定だよ。
2.最新作は、MATCHES FOR MAGGIEの5曲入りのデモCDだよ。俺の好きな2曲は、”After The Evening Prayers”と”Big City Ghosts”さ。Henningの素晴らしいギターワークに注目して欲しい、でも最初に聞いて曲が複雑だと感じたら、また聴き直してみて欲しいんだ。じっくり聴けば分かって貰えると思うからね。
3.「太陽の国」、相撲、火山、人口の多さ、外国の文化。日本がワクワクする場所だって疑いもしないさ、だって俺は26万人の人口のアイスランド出身だからね。
4.ミュージシャンになるという事は豊かな人生を送るって事なんだ。俺のゴールは、幸せな人間であり続ける事。そしてシンガーとして、作曲者として成長し続ける限り俺は幸せであり続けるのさ。成功するかどうかは必須じゃないんだ、物事が進むのをありのままに受け入れるさ。

 

 

5.殆どの少年達同様、AからZ迄殆ど全てのアーティストのカヴァーを演る様々なアマチュア・バンドから始めたんだ。7歳の時からロック・ファンだけど、アイスランドではロックで生計を立てる事は不可能だから、様々な事柄に関わってきたし、アイスランドに居た頃は30から40のアルバムに関わっていた。でも1988年にはノルウェーのHMバンドARTCHに加入して、92年迄一緒に演っていたよ。出来ればMATCHES FOR MAGGIEをこの先一生続けたいね。
6.色々な音楽のスタイルがやって来ては去っていくけど、HMが常に一番さ。METALLICA、PANTERA、ALICE IN CHAINSの様なバンドを掘り下げるんだ。でもこれが常に好きだ、という事ならDavid Bowieだね、彼のキャリアの中でとても多くの紆余曲折を経て生き抜いてきたアーティストだからね。Ian Gillan、Bruce DickinsonやRobert Plantの様なヴォーカリストも俺のキャリアには大きな影響があったよ。
7.成功は一晩でやって来る事もあるさ。でも真の成功は地道に努力した結果なんだ。MATCHES FOR MAGGIEの名前に注目してくれ。今は話題の中心という訳ではないけれど、俺達の時代がやって来るさ。それが実現したら、日本は最初に訪れたい国だよ。ARTCHの2枚のアルバムのお陰で俺のファンが幾らか居るみたいだから、いつか何処かのライヴで彼等に逢いたいんだ。

 

TINDRUM (1988) (English)

Their 1st album “DRUMS OF WAR” on CD (original release) is still rare and hard to find.

 

 

Answers for our questionnaire from TINDRUM in 1988 from TINDRUM SPECIAL ISSUE from Japan 1 published in 1989. Tove (Vo) left TINDRUM when the issue was published.

 

 

(Questions)

1. What’s TINDRUM for you?
2. Let us know your music influence. How about your career before TINDRUM?
3. Let us know your album (ex. song titles, etc.)
4. Why did you choose your part?
5. When did you start to play? Do you remember the name of the band?
6. How would you describe each member? How about yourself?
7. Would you give us messages?

TINDRUM (1988)(日本語)

1988年発売の1stアルバム”DRUMS OF WAR”のオリジナルCDは、今でも高値で取引され、入手困難な1枚です。

 

 

1989年発行の弊誌TINDRUM SPECIAL ISSUE from Japan 1に掲載された、1988年当時のTINDRUMの質問状回答を掲載します。発行時にはTove (Vo)は既にTINDRUMを脱退していました。

 

 

(質問)
1.貴方にとってTINDRUMとは何ですか?
2.貴方の音楽的影響を教えて下さい。TINDRUM以前のキャリアは?
3.アルバム(曲名等)について教えて下さい。
4.何故貴方は自分のパートを選んだのですか?
5.いつ演奏し始めましたか?バンド名を覚えていますか?
6.他のメンバーはどんな人達ですか?貴方自身はどうですか?
7.メッセージを頂けますか?

Diesel Dahl (Ds) – TINDRUM (1988)(日本語)

“Drums Of War”のEPシングル。

 

 

 

1.TINDRUMは1988年の1月に誕生したよ、それ以来俺達は毎日バンドの事で頭が一杯なんだ。俺達のシングル”Drums Of War”は5月の初めに発売されて、5月28日にデビュー・コンサートを開催した。それからノルウェー中をツアーしてきて、9月9日にデビュー・アルバムが発売される事になってる。俺の家族以外では、TINDRUMは俺の全てだって言えるんだ。
2.70年代のバンドから強く影響を受けたよ。STATUS QUO、THIN LIZZY、BAD COMPANY、LED ZEPPELINやQUEEN等にね。俺とDag Ingebrigtsenは一緒にBURNとBURN IIってバンドで演ってたんだ。70年代にはさっき挙げたバンドのカヴァー曲を演ってたよ。今はいいものなら何でも好きなんだ。
3.俺達のアルバム”DRUMS OF WAR”は88年の春、3月と4月にノルウェーのオスロにあるSCANAXスタジオでレコーディングされたんだ。プロデューサーはRandy CrawfordやデンマークのFATEも手掛けたSvein Dag Haugeが担当した。10曲収録されていて、9曲がオリジナルで1曲はBAD COMPANYの”Can’t Get Enough Of Your Love”のカヴァーさ。俺達の最大のゴールの1つはアルバムを日本で発売する事なんだ。
4.俺はいつでも物を叩くのが好きだったんだ。母さんの台所道具、テーブル、椅子、何でもね。15歳の時兄貴が俺にドラムを買ってくれて、地下に置いて俺をドラムと一緒に閉じ込めたんだ、それで彼は小さな幸せを得る事が出来たのさ。

 

 

5.1977年:TNTの初代シンガーのDag Ingebrigtsenと共にBURNを。1978年:Dagと、STAGE DOLLSのベーシストTerje Storliと共にBURN IIを。1979年:何も演らなかった。1980年:HOTLIPS。1982年:DagとRonniと共にTNTを結成。
6.Sid:乱雑な天才。Tove:軍隊の如き完璧さ。本物のスター。Trond:怠惰な音楽の貴公子。生まれながらの勝者。俺:独裁者、そしてぐっと抑える人物。
7.俺は日本の人達をとても尊敬しているんだ、彼等は働き者の礼儀正しい人達で、高いモラルの持ち主だからね。彼等の事は信用出来るんだ。87年にLOUDNESSに逢って、一緒にツアー出来たのは素晴らしい経験だったさ、STRYPERも一緒の時だ。アメリカ式の生き方は良くないと思ってる、他の国々は日本やノルウェーから学べる事が多いんじゃないかな。だからみんな:ドラッグにはNOと言おう。そしてキリン(ビール)を選んで、君達の伝統を守ってくれ。

Sid Ringsby (B) – TINDRUM (1988)(日本語)

“Drums Of War”のEPシングル。

 

 

 

 

1.TINDRUMは、約40年間にわたるショービジネスで一緒になった4人のミュージシャンの協力の賜物なんだ。「俺の人生で初めて、俺は正しい事をしていると感じているんだ」
2.子供の頃、THE BEATLESやWINGS、Elton John、BLACK SABBATHやDEEP PURPLEを沢山聴いてきて、彼等のギターやベースのリフの殆どをコピーしていたんだ。1976年に初めてJaco Pastoriusを聴いて、何カ月もの練習を経て、俺のベース・プレイは飛躍的に上達したんだ。ベース・ネック上の運指がずっとし易くなって、ベース演奏そのものを大きく変化させたのさ、いい方向にね。
俺のキャリアについては、幾つかのノルウェーのバンドで演ってきたけど、TINDRUMの前に居たのはROADってバンドだったよ。今はバラバラになったけど、1983年から2枚のアルバムと1枚のEPを発表したんだ。
3.TINDRUMのデビュー・アルバムは1988年9月9日にノルウェーで発売される予定なんだ。次の10曲が収録されるよ:Drums Of War、Horoscope、Stranger In Paradise、Midnite Dynamite、Rain、Hello, The World Is Calling、Can’t Get Enough、Miracle Of Love、Keep Running、Once Bitten, Twice Shy。Drums Of Warの楽曲は、B面がMidnite Dynamiteで既に発表されている(5月にね)んだ。
4.これを話したら信じてくれるかなぁ?
えっと、10歳の時に父さんがエレキ・ギターを買ってくれたんだ、両親が長い間俺に約束してくれていたからね、で、父さんはエレキ・ベースを持って家に帰ってきたんだ。俺は2、3日泣きっ放しで父さんも母さんも、俺自身も殺してベースをぶっ壊そうと思った位さ。
まあ、誰でもいずれにしたって何とかするもんさ、生き残る為にね。俺はベースの演奏を始めたんだ、そしてそれから楽器を替えた事がないんだよ。

 

 

 

5.6歳の時に、母さんのHagströmのアコースティック・ギターを独学で演り始めたんだ。
7歳の時にピアノのレッスンを受け始めて、音楽を読む事を学ぶのにとにかくハマったのさ。
だからピアノからギターに全て切り替えたよ、言い換えれば俺の知識をピアノの楽譜をギターの楽譜を書くのに替えたって事だよ。そして知っての通り10歳の時に最初のベースを手に入れて、14歳で最初の本物のバンドを始めたんだ、MAC ATLANTICって名前で、他のバンドやアーティストをカバーしてたんだ。主にパーティー等で演ってたよ。
6.「他の奴等に彼等の事は語らせるよ」
1962年2月16日にノルウェーのオスロで誕生、69年に学校生活が始まって、12年後の81年で卒業。変わらない、本当に変わらないAEROSMITHのファンで、コーヒーを滅茶苦茶飲んで、いい食事を楽しみ、実際母さんの羊とキャベツ料理が大好きなんだ、それはノルウェーの国民的料理なんだよ。
多分ジャック・ダニエルズのボトルを飲み干せてしまうと思うなぁ。
結婚はしてなくて、朝が大嫌いで、二日酔いのまま立っていられる世界記録を持ってる。
ところで、毎回新しい記録をセットするんだ。(俺、ギネス・ブックに載るべきかな?)多分俺はイカレた状態で生まれてるんだと思う。
7.楽器を演奏したいなら、どんな楽器でも、って意味だよ、幾つかの楽器の演り方を知っておくのは常に役立つと思うよ。
何故なら見方が変わるからさ、背景がより良ければね。
俺の事を本当に好きだって言おうよ、そしてメインの楽器にベースを選んでくれ、ギターやキーボードを演奏できるのは素晴らしい事さ、音の多様性の為にはね、リズムの為のドラムも。
そして大事な事を言い忘れたよ、「練習、練習、練習あるのみ!」幸運を祈る!

Trond Øien (G) – TINDRUM (1988)(日本語)

“Drums Of War”のEPシングル。

 

 

 

 

1.TINDRUMは俺のガールフレンドさ。究極の居心地だよ!最も大好きな事をずっとやりたかった方法で実現出来ているんだからね。マリリン・モンローとブリジット・バルドーと同時にイイ事をするみたいなものさ!!
2.俺に影響を一番与えたのはEddie Van Halen氏だと思うんだ。彼等の1stアルバムを聴いて以来夢心地なんだ。つまり、彼はギター演奏の全体の考え方を変えてしまったって事さ!一方で、誰かに影響されるというよりも奮起させられる事の方が多いんだよ。ギタリストからだけじゃなくて、彼等が手掛けている何かが並外れて
素晴らしければ誰からだってワクワクさせられるのさ。彼等がミュージシャンである必要なんて全くないよ!ライターでも、画家でも、俳優でも、素晴らしい人格の持ち主ってだけでもいいんだ。そういう事が俺の視野を広げてくれるし、仕事において利益になっていると思うんだ。俺のキャリアの中では、2、3のバンドとしかツアーしたり、演ってきた事がない。でももし俺の心に尋ねるなら、俺のキャリアはTINDRUMを結成した日に始まったんだ!って言えるさ。
3.曲のタイトルのリストは次の通りさ。Drums Of War(1stシングルだよ)、Horoscope、Stranger In Paradise、Midnite Dynamite、Rain、Hello, The World Is Calling、Can’t Get Enough、Miracle Of Love、Keep Runnin’とOnce Bitten, Twice Shyだよ。
俺が誇りに思うデビュー・アルバムに仕上がったんだ。DRUMS OF WARっていうタイトルさ。Svein Dag Haugeのプロデュースで、ノルウェーの首都オスロでレコーディングされたんだよ。ノルウェーでの発売は9月9日に決まってるんだ。
4.あれは完全に運命だったと思うんだ!

 

 

5.7歳の時には既に母さんのEKOのアコースティック・ギターを持って鏡の前でポーズを取ってたのを覚えてるんだ。でも13歳で初めてのエレクトリック・ギターを手に入れる迄は演り始めなかったんだ。古いテープ・レコーダーを回しながらプレイしてて、最高!って思ってんだ。それから15か16になる迄近所の奴等と沢山のバンドで演ってたよ。でも本当に最初のバンドはバンドというより、共通の好みを持つ仲間、って感じだった。確かWILD DOGSとか何とかって呼んでたと思うよ。
6.彼等を公平に評価する言葉なんて見つからなかったよ!彼等は素晴らしいし、大好きなんだ!
俺自身?面と向かって話さない限り自分自身を語るなんてとても難しいよ。でも質問の下の俺の答えは、俺と俺の人生観について多くを語っていると思うよ!
7.山がどれだけ高いかなんて問題じゃないんだ。登らない限り君は頂上には辿り着けないんだ!!夢を諦めるな、その為に戦うんだ、信じるんだ、そして最後には成就するんだよ!